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愛と平和の花紫金草1

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関東平野には、どこからでも見える山があります。
古くから万葉集にも多く詠まれた山、それは筑波山です。
筑波山には、ブナの原生林や珍しい植物がたくさんあります。
多くの鳥や昆虫たちが生まれ育ってゆくところです。
 
早春、寒さの残る中で梅の花が咲き、
桜の芽花もほころぶ頃、
筑波山のふもとのあちこちに、うす紫の菜の花が咲きはじめます。
それはどんな花かご存じでしょうか。
その花こそ、日本名『紫金草』と名付けられ、
皇居の三の丸公園をはじめ、山手線沿いに咲き誇り、
ビルの都会に安らぎを与える花となりました。
人の心から心へと、平和を願って、日本各地に播き広められてきたうす紫の菜の花です。
紫金草と名を付けた人は、山口誠太郎さんという
1888年に、筑波山のふもとの町、石岡で生まれた人です。
朝な夕な筑波山を見て育ってきました。
 
誠太郎さんの生まれたころの日本は大きな変革の時代でした。
長い間、鎖国をして外国との交流を禁じていた日本は、
鎖国を解き、外国との交流がはじまると、
ヨーロッパの強国は、弱小国を植民地にしたり、
資源を収奪したりしていました。
これらの有様を見て、日本もヨーロッパに負けない強国になろうと、
国を挙げて軍備を整え、兵力を増強し、富国強兵の道を歩みはじめました。
そして日清戦争、日露戦争で勝利した日本は、
自信過剰の、好戦的で、他民族をさげすむファシズム国家となり果てました。
 
ヨーロッパの強国は、以前から中国を支配下におこうと、
あれこれ対策を練っていましたが、
隣国である日本こそが中国を支配するのだと、その機会をねらっていました。
日露戦争でロシアから奪った南満州鉄道の権益を守る軍隊を送り込んでいましたが、
1931年南満州鉄道爆破という、自作自演の事件で、自衛のためと称して、
一挙に満州を占領し、傀儡政権「満州国」を作り上げ、植民地としました。
 
続いて、1937年7月7日に蘆溝橋事件を機に日本軍は全面戦争に突入しました。
戦争は翌月には上海に飛び火し、それに勝利した日本軍は南京攻略を目指しました。
途中、食糧の備えもないまま、食糧現地調達と称して、
中国民間人からの強奪を繰り返しながら進攻してゆきました。
日本軍の行く先々、どこでも多くの中国人民の犠牲者がでました。
そしてついに、首都である南京まで攻め入り、
そこで更に多くの南京市民の犠牲者を出したのです。
その頃日本では、南京陥落を祝い、提灯行列や旗行列を行ったりしていました。
南京で何が起こっているのだろう。南京市民はどうしているのだろう。
そのことをとても心配している1人の薬学者がおりました。
山口誠太郎さんです。
 

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